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5 MSA 進行

 この病気だと最初に診断されたとき知人の知人のお医者さんから、「進行性の病気にかかったんだから最悪のケースを想定するように」と忠告されましたが今ひとつピンときませんでした。当時は症状が限定的だったからだとおもいます。

 それが、昨年末、実家に戻った頃から急に進行が早まり歩けなくなるのと期を一にして喋れなくなりました。

 この病の進行はどうもリニアでないように思います。何一日かに一度、まるで細胞群が¥崩れるかのように調子悪い日があります。従って、進行具合は三角定規のように徐々に、ではなく、のこぎり状のようにがたっときて暫く同じ状態が続くような気がします。

 はっきしているのは進行性とは昨日より悪くなることはあれど良くなることは決してない、ということです、

4 MSA 発汗 

MSA

最初に異変を感じたのは汗で、後頭部だけからはんぱない量でていました。ある一定の温度をこえると汗を吹いたようになります。ぽたぽたとびちるくらいです。そのうちに上半身全部から発汗するようになり、5-9月には電車に乗って座っている人の前に立つのも憚られるくらい汗っかきになりました。以下の記事をみつけたのは随分あとでしたが。

 この四、五年、異常なほどの汗をかくようになりました。少し動いただけで、頭や顔から流れ落ちるように汗が出て、ハンカチでは間に合わないほどです。脈拍が約七十と少し多いほかは、年一回の人間ドックで、特に異常なしと言われてますが、何かの病気ではないかと心配です。(千葉・61歳男性)
 ◇渡辺晴雄・東京女子医大内科名誉教授
 ◆神経系の病気が原因か
 A 手のひらや足の裏を除いた全身の発汗は普通、体温を一定に保つために必要な生理機能として「温熱性発汗」といいます。また、冷や汗など精神的緊張でかく汗を「精神性発汗」、辛い食べ物を食べた時に出るものを「味覚性発汗」といいます。
 これらの発汗が異常に多いケースを「多汗症」といいます。多汗症の原因としては、種々の内分泌疾患や神経疾患、慢性感染症などのほか、特殊な食習慣(肉料理を中心とした高たんぱく食)や、辛い食べ物を好む、し好によるものが考えられます。
 ご質問者のケースでは、まず、「数年にわたる頭部・顔面を主とする多量の発汗が慢性傾向を示す」「人間ドックで異常が見つからない」などの点から、一つの原因として自律神経系の病気が考えられます。
 パーキンソン病や多系統委縮症などがそれで、体温調節に関する発汗を支配する神経経路に障害を生じた結果、下半身に無汗症を起こし、それが次第に広がると、その代償として他の健全な部分である上半身、特に他の部分より発汗が早い皮膚を持つ顔面などから多汗をみます。
 これらの場合、比較的初期段階では診断が難しくもあります。このためパーキンソン病では、動作の緩慢や前かがみの姿勢、表情が乏しい、便秘傾向などが示された時、多系統委縮症ではいびきをかく、立ちくらみなどの起立性低血圧傾向が見られたら、専門医を受診すべきです。また、糖尿病による自律神経障害でも、似たような症状が起こり得ます。
 この方は「脈拍数がやや多い」ということですので、もう一つの原因として、体内の代謝こう進をきたして、体温が高まる甲状腺(せん)や、脳下垂体のある種のホルモン分泌の過剰を示す疾患も考えられます。
 甲状腺に関する病気としてはバセドウ病、脳下垂体では先端巨大症などが挙げられます。いずれも種々の検査が必要で、やはり専門医を受診されることを勧めます。
 
 写真=渡辺晴雄名誉教授

 Nikkei Inc. No reproduction

3 MSA ドーパミン

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 京大で検査入院した時、筋シンチ検査の最新としてドーパミン放射線を入れてその脳内分布をみました。筋シンチはPDとその他PD症状を示す疾患とを区別する際に用いられますが、この筋シンチは目的が異なります。ドーパミンの量と分布を見るための検査でいずれも常人と遜色なかったそう。とういうことは、私の疾患はやはりドーパミン生成細胞は生きているのにその受容体が死んでそう。

 この違いが、ジスキネジアが起こりにくいなど症状面の差に現れていそうで,足りている物を足し続けても不具合が出ないのか、MSAではいくらドーパミンを飲んでも不随意運動(ジスキネジア)は目立って出現しないようです。リハビリは大抵ドーパミン生成細胞を活性化させてドーパミンを出やすくすることにフォーカスしているので、ほぼ私の場合は効果があった感がありません。どうやら1日に使えるドーパミン受容体の量はきまっていて日中は一度使われたものは回復せず、かろじて睡眠で少し(前日と同レベルまで)回復するように思います.どこの先生にリハビリについて尋ねても「症例がすくないからわからない。」とおっしゃられました。ただベッドで寝たきりになるとあっと言う間に筋肉が落ちて歩けなくなるのは間違いないと警告されていたにも関わらず、電動車椅子になって歩けなくなるまではあっという間でした。筋肉をきたえるという意味では効果があるんだろうと思いました。

  ドーパミンが少し効いたように思えたため当初MSA-P(パーキンソン症状の強いMSA)と診断されたのですが、その後のL-ドーパの効き具合、フラつきの大きさを見るとMSA-C(小脳症状の強いMSA)ではないかと思います。

2 MSA 尿道カテーテル

MSA

 この病気はまず自律神経がやられます。ぜん動運動をしなくなるために,胃の中に食べた物が残るようで、食べてすぐ胸焼けがします。三食の他に食べるとまちがいなく胸焼けします。汚い話ですが、つれてゲップも出ます。西洋人はおおむね、おならよりゲップを嫌うので抑えないととても嫌な顔をされます。

 これについで困るのが尿意のコントロールです。最初に県中央病院(以下県中)に紹介されたとき、水分をとっていなかったため検尿の尿がなかなかとれなかったためかすぐに尿道カテーテルを入れられました。県中ではカテーテルを残置しない自己導尿を推奨しているようでしたが、手洗いから一連の操作が手に力が入らないためか様子をみた看護婦さんの判断によりカテーテル残置となりました。
 このとき、兄がネットでいろいろ調べてくれてFr(フレンチ)という単位を知りました。1Fr=1 / 3 mmで通常尿道には16Frを使うため5.33mmになります。尿道炎の経験があるためこれは痛いぞ、と思っていたら案の定とても痛く、以降、月一の交換日がとても憂欝なものになりました。
  最初に尿道カテーテルを残置してから半年くらいしてから急にカテーテルが詰まるようになりひどいときは1週間持たずに詰まるようになりました。ネットでしらべるとたまに見られる症状のようでしたが愛媛県ではあまり見られない症例なのか有効な手立てをとれないままにここまで来ています。
 この尿道カテーテルをいれてから、体調が悪化したように思います。もちろん感染症のリスクは跳ね上がるのですが、微熱が出たり尿道が痛くなったり、何らか違和感もありずっとこれから死ぬまでつきあわばならないと考えると元々痛いのに弱い私は頭が痛くなります。
 幸い、近所の訪問看護さんが対応してくださるようになりましたので救急車で運ばれる頻度はさがりましたが、それでもベッドに寝ている時によく詰まるように思いますので,俄然、車椅子に座っている時間が長くなります。横になることで膀胱中の浮遊物が一箇所に集まりカテーテル流入分付近に漂うためつまりやすいのではと見ています。

1 MSA 名医

MSA

 昔から「医者はその病気にならならなければ名医といえない」みたいなことが言われますが、どこがどんな風に痛むのかを分かるにはその病気になってみないといけないということだろうとおもいます。皆がかかり易い病気ならそれでも中には表現力豊な人がいらして医者の先生も的確な情報を掴めるのでしょうけどもともと数が少ない難病の場合はそれも期待できません。私のMSA(多系統萎縮症)は多く見ても日本で1万人といったところです。皆さんご存知のALSと同じレベルですが、なぜかALSには有名人が多く研究もかなり進んでいると聞きます。

 私が当初通っていた大学病院では「セカンドオピニオンお断り」となっていたためにとある総合病院に先生をを兄に紹介してもらって診察を受けたのですが、症状を話した途端、「それはMSAだね」と確定診断に同意され症状について書くように進められました。色々書物をよんでまくし立てたからだと思いが、本にするまではないためここにブログ形式で載せます。ブログのテンプレートをつかったため各ページの一番下の「カテゴリー」でコンテンツを選んでご覧下さい.少しでも行進の方のお役にたてべばとおもいます。

 ALSはその昔、ルーゲーリック病といわれたとおり、何故か有名人がかかり易いので有名です。中でも一番メジャーなのはホーキング博士かとおもいますが、他にちょっと古い方ならクイズダービーの回答者として学習院篠沢教授なども急に見なくなったなと思ったらALSでした。あとは目玉で会話しなくちゃいけなくなってもどっこい出てくる徳洲会の創設者徳田虎雄さん、かの毛沢東もALSにかかってなくなったという話があります。あとはあまりよく知らないけど:ヘヴメタのギタリスト「ジェイソン・ベッカー」さんもそうらしい。まだまだ枚挙に暇がない病気です。しかるべくしてアイスバケツチャレンジは生まれました。私もこの世の中に如何に難病がおおいかをみなさんにしってもらおうと参加しましたが。

脚本3・9

後書き

S61・8・30 執筆完了

H18・11・31 Web掲載

 

 終戦間近の昭和二十年、九州でのお話。山ん中に墜ちた米軍偵察機。一人、生き延びたアメリカ兵が最初に出会ったのは、十才と十二才の子供兄弟です。学校の先生に鬼畜米英と教っていた彼らは、その目で何も違わない人間であることを確認します。そして米兵の差し出したチョコレートがこの言葉の通じない、身の丈が倍ほども違う人間を結びつけます。話のわかる祖父、ごろじいの力添えもあり、けがを直した米兵は兄弟とすっかり仲よくなります。そうしているうちに兄弟は米兵を故郷へ帰してやろうと思いつきます。近所の遊び仲間を引き入れ、隣町の飛行場までの冒険が始まります。そして終戦。

 不時着した飛行機を飛ばす実話は2013年に「飛べダコタ」に先を越されました。戦争を知る世代もこの30年で随分亡くなりました。

戦争を全く体験していない僕のようなものが書くべきものではないのでしょうが1982年に「E・T」を見て、これは反戦映画だなと思ったのがきっかけで、以来、昭和一ケタ、二ケタの人の話を聞きあさってなんとかつじつまを合わせました。

 したがって前半は全く「E・T」の翻案でして、後半は「隠し砦の三悪人」と思っていただければよいと思います。「スプラッシュ」のような「E・T」のリメイクが許されるのだから、この盗作をスピルバーグは許してくれると思います。スピルバーグ自身「E・T」は反戦映画だと語っています。スピルバーグはいまだにこの言葉が通じない、背格好、年齢の全く異なる二人の間に友情が成立するというテーマをBFGなどでおっています。情況設定は大江健三郎の「飼育」に酷似していますが、大江さんは僕の高校の先輩にあたる人でもあり大学の先輩でもあるから、大目に見ていただけるのではないかと甘い期待を抱いております。

 蛇足ながら高校(旧制中学)の先輩には、伊藤大輔伊丹万作、佐伯清、山本薩夫伊丹十三、大友柳太郎、早坂暁、の諸氏がおられます。この人達のあとに少しでも続こうと思っていた者でもあります。

 残りの人生でお金を工面してこの脚本を、と思っていたら、MSA(多系統萎縮症)という不治の病に冒されてしまいました。間もなく私はこの世から消えてなくなります。脚本を手直しして、絵コンテを書いて、とおもっていたのですがどうやらその時間はなさそうです。著作権を完全に放棄しますのでどなたかこの反戦映画を世に出していただけないかと思い、ここに掲載する次第です。

〈登場人物〉

泰助(10)正雄の弟

正雄(12)

浪子【なみこ】(32)泰助、正雄の母

ごろじい(70)浪子の亡夫の父

徹【てつ】(10)

孝【たかし】(10)

二郎(10)

徹の母(35)

徹の祖母(65)

孝の母(42)

今井中尉(28)

中隊長(45)

伍長(40)

兵隊一(40)

兵隊二(45)

軍曹(35)

兵隊三(30)

兵隊四(30)

整備兵(55)

隣組の組長(55)

村役【むらやく】(65)

村役夫人(60)

良介(10)徹のいとこ

俊夫(8)良介の弟

機関士

車夫

村と町の人たち

兵隊たち

ベン(30)墜ちたアメリカ通信兵

 

131 村役の家の前

脚本3・9

ジープ到着。まず仔犬のベンが飛び出していく。制する大人達を振り切って子供達が飛び出して行く。

ジープから降りる大男、ベン。肩にサンタクロースのように袋をかついでいる。再会。回りで不思議そうに見ている大人達、米兵達をよそに喜び、はねまわる子供達。ベンが袋をさかさまにすると……ドサッと出てくるチョコレート。

(終)